上岡龍太郎さんの引退と復帰、島田紳助や故横山ノックとの関係についてご説明します。
上岡龍太郎(本名 小林 龍太郎)さんは1942年3月20日生まれ京都市出身の元テレビタレント・司会者・漫才師です。上岡龍太郎さんは2000年3月に「ボクの芸は21世紀は通用しない」と言い残し芸能界を引退しました。芸能界引退前に「ジョギングで桜前線とともに北上し、紅葉前線とともに南下する」「シニアプロゴルファーになって、戸張捷よりも良い解説をする」「みんなが止めようとしないからやめざるを得ない」と発言。それまでの転向癖から、周辺の中には「上岡龍太郎は翻意でテレビ復帰する」という予想もありましたが、現在は一部著述や発言以外は芸能界の表舞台に現れていません。まれに故横山ノックなど知人のゴルフ大会や芸能人パーティーなどに出席します。特に親交の深いオール巨人のブログには、芸人仲間とのイベントや宴会の写真に見切り出演する事もあるので、上岡龍太郎ファン近況確認の情報源です。やしきたかじんとゴルフに行くことも、やしきたかじんが明かしています。2002年2月9日の出版記念サイン会で「今の関西テレビは上沼恵美子ばかり出るから、出る気がしない」と上岡龍太郎はテレビ復帰の意思が無いことを明かしました。
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上岡龍太郎さんは島田紳助に心の師と尊敬されています。島田紳助が2004年に暴力事件で芸能活動謹慎中だった時に相談したのが上岡龍太郎です。島田紳助「僕はこれからどうすればいいのでしょう」に「反省しているなら誠心誠意女性に謝れ。でも自分から引退すると言うな。スタッフのことを考えろ」と島田紳助の芸能界引退を引きとめました。島田紳助は上岡龍太郎の芸能界引退時、「芸能界の道標を失う。考え直してくれ」という手紙を送るが上岡龍太郎は「ずいぶん前から君は僕の前を走っているんだよ。」という手紙を送り、紳助は涙が止まらなかったそうです。島田紳助がテレビ「オールスター感謝祭」司会を行う時に上岡龍太郎は必ず一番前の席に座り紳助を見守りました。島田紳助は上岡龍太郎の姿勢に感動し、「気持ち良く司会が出来る」と。テレビ終了後に必ず上岡龍太郎から「完璧でした、見事でした」と言われていました。上岡龍太郎は弟子をあまり取りません。ぜんじろう氏が全国ネットレギュラーを持っていた時、「そのとき売れているやつが一番弟子や」と言ってますので、あまり師弟関係を意識していないようです。
上岡龍太郎さんと故横山ノックさんは漫才トリオ(1959年〜68年)の仲間です。横山ノックは上岡龍太郎より10歳年上なので師匠だと思われがちですが、師弟関係ではありません。ただし上岡龍太郎は漫才や演芸の知識はあっても素人なのでツッコミの入れ方で横山ノックさんから指導を受けました。ノックはネタの構成で上岡龍太郎のセンスが必要と声をかけたのです。しかし、参院選出馬で横山ノックのわがままで解散、上岡龍太郎は吉本にも戻れず芸能活動を干された時期があり、横山ノックに対しては愛憎ともあるようですが、上岡いわく、「ノックは自分の一番弟子」。横山ノックは2007年5月3日に亡くなり、上岡龍太郎は通夜に参列するため、約7年2カ月ぶりにテレビカメラの前に姿を現しました。マスコミの質問には終始無言で会場を去りましたが会場では号泣していました。同年6月7日にリーガロイヤルホテルでの「横山ノックさんを天国に送る会」で上岡龍太郎は「横山パンチ」の名前で追悼のあいさつを行い、涙ぐみ感謝の言葉を述べました。その時のインタビューで「抗がん剤使ってんの?」「使ってない」「でもハゲてるやん」「もとからやがな」と横山ノックを見舞いに行った時の会話内容を明かしました。
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